名称:余目八幡神社
「余目」の地名は、奈良時代の大宝津令の「戸令」によってつけられました。「50戸で1里(のち里)」戸数が増えて60戸になると10戸を別にして『餘戸』と呼びました。(平安時代には全国に95か所もあります)。この余目は、古代、出羽の国府が置かれていた所と言われております。その役所の鬼門に「八幡宮」が祀られ、大分県 宇佐八幡宮から勧請されました。平安時代末期、奥州藤原氏の家臣『佐藤氏』がこの地を治め「余目殿」と呼ばれたそうです。その城跡の堀跡は八幡神社の北方に北堀跡が残っています。【山形県遺跡番号No.1698】奥州藤原氏が源頼朝に敗れ、滅ぼされたのち、余目は鎌倉時代は源氏の領地になりました。『餘戸』から『餘部』に変わり、佐藤氏は左右館(沢田)に移ったと言われております。南北朝時代の暦応3年(1340)、餘部は足利氏の家臣 安保忠実に与えられました。安保忠実は室町時代の軍記物『太平記』に、足利直義の家臣、高師直軍に属し、南北朝の争乱の中で四條畷の戦い・観応の擾乱などで猛将(悪党)として活躍した戦いの様子が描かれています。その後、関西の戦いに敗れた安保忠実は関西から余目に落ちのび、今の館の乗慶寺の所に『館』を築き「余目八幡宮」を守り神として館に移し「武神」として祀ったと言われています。天正3年(1575年)に16代200年余り続いた安保氏は滅びました。上杉景勝軍、最上義光に敗れたとか、疫病が広まって滅びたとか、いろいろな説があります。
江戸時代の正保元年(1644年)館にあった八幡宮が炎上し、翌年正保二年(1645年)館村からもともと鎮座していた現在のところ町村(御殿町)に還りました。文化11年(1814年)現在の社殿が羽黒山三神合祭殿と同じ様式で建設されました。社殿は合祭殿の約1/4(寸法は1/2)の大きさで、同時に着工し4年早く完成しました。拝殿上部の棟持柱には2本の力士像が彫ってありますが、羽黒山にはありません。余目最古の建造物です。
本 殿
・応神天皇…日本に初めて漢字(論語)儒教を取り入れた学問産業の神。
ご利益【出世開運/交通安全/学業教育/家内安全 等】
・神功皇后…応神天皇の母。応神天皇をお腹にいれて、朝鮮をせめて勝った勝ち運子授けの神。
ご利益【子授け/安産/家内安全/学業授受/勝運/厄除け/芸道上達/開運招福 等】
・玉依売姫命…初代天皇、神武天皇の母神。占い、お告げ、海上安全、交通安全の神
ご利益【子宝/安産守護/豊作豊漁/殖産興業/商売繁盛/開運/方位除け/悪病/災難除】
・天照大御神…日本の総氏神として祀らるれる太陽神。
ご利益【国土安堵/福徳/開運/勝運】
八坂神社
・素盞鳴命…豊穣神、防災除疫の神、歌人の神、冥府の神、荒ぶる神の祖
ご利益【水難/火難/病難除去/五穀豊穣】
・櫛稲田姫命…稲田の神
ご利益【縁結び/夫婦和合/金運招福/厄除開運/衣食住守護】
・八衢彦命…道祖神・邪神・悪霊の侵入をふせぐ。
ご利益【禊/魔除け/厄除け、/道中安全の神】
八衢姫命…道祖神・邪神・悪霊の侵入をふせぐ。
ご利益【禊/魔除け/厄除け/道中安全の神】
・久那斗神…道祖神・邪神・悪霊の侵入をふせぐ。
ご利益【禊/魔除け/厄除け/道中安全の神】
疱瘡神社
・大己持神…国造りの神/農業神/商業神/医薬神
ご利益【縁結び/子授け/夫婦和合/五穀豊穣/養蚕守護/医薬産業開発/交通航海守護】
・少彦名命…穀物の神/医薬の神/温泉の神
ご利益【国土安穏/産業開発/病気平癒/漁業/航海守護】
連絡先
住 所 | 庄内町余目字町149 |
アクセス | 余目駅より徒歩15分 |
駐車場 | 有 |
電 話 | 0234-43-3673 |
ご祈祷 | 事前予約となります。 |
御朱印 | 無 |