本日は、
私の頭の中にある言葉を、
稚拙で、未熟な文章ながらも、
オープンにして参りますので、
センセーショナルな内容を含みますが、
よろしければご覧下さい
【心の中に在る、苦しみと対峙し、生きる。】
【SHiDA】
やさしい社会を作るために必要なことは、
善悪の判断だけじゃない。
むしろ、善悪の基準を教え込み過ぎるのも危険だと、私は思う。
正義か?不義か?
そればかりに思考が囚われているから、
誹謗中傷が生まれる。
義務教育。
六歳から十五歳までの九年間。
心と向き合う時間はごく僅か。
私は未だに疑問だ。
道徳の授業は、
なぜこんなにも少ないのか?
九年間もの間、常に行われるのは、
他者との比較、背比べ。
一定基準を満たす事への称賛と、
達成出来なかった事への懺悔の要求。
そもそも、『一定』なんて、
統計学の平均値と、もはや感覚論でしかない。
『心と向き合い、生きる。』
という事は、
思考回路がぐるぐるに、
ぐちゃぐちゃになってしまうほどに、考える。
その混沌とした沼の中で、
足掻き、もがき、
必然的に、エネルギーを消耗し、疲れる。
心の授業だって、他の教科と同じ作用なのに・・・。
にも関わらず。
心と向き合い、悩み、苦しみ、不登校になるだけで、
普通じゃないと言われる。
精神疾患だと言われる。
発達障害だと言われる。
正直私は全てに当てはまる個性を持っていると、
自負している。
ただ私の頭の中では、
これら全てが、
『厄介で、面倒で、よろしくないこと。』
とは、イコールしない。
何故なら、その価値観が無いと、
生きていけないから。
学校だけじゃなく、
社会に出てからも、生きていけないから。
学校って何だろう?
社会って何だろう?
日本は、何故こんなにも、
自死問題が加速しているのだろう。
真面目なのに?
真面目だから?
『真面目は正義、協調性こそ美。』
このままだと、くるしくて、生きづらい。
これが、
常識とされてしまうなら、
義務教育や学校は、
一定基準クリア養成所、になってしまう。
全国の、一定基準を満たさないと、
みんなと同じように整列していないと、
見下される価値観の檻と、化してしまう。
この価値観、概念の中で生きる子供たちは、
かなりのストレスと、プレッシャーに晒され、
九年間、生きる事と、ニアイコールしてしまう。
私が苦しんできた経験を、活かしたい。
何故苦しいのか、その理由を、教えてあげたい。
学校教育に、
これからの子供たちに、
もっと・・・。
心と向き合う時間を与えたい。