本日は、
私の頭の中にある言葉を、
稚拙で、未熟な文章ながらも、
オープンにして参りますので、
センセーショナルな内容を含みますが、
よろしければご覧下さい![🌸](https://s.w.org/images/core/emoji/13.0.0/svg/1f338.svg)
【心の中に在る、苦しみと対峙し、生きる。】
【SHiDA】
やさしい社会を作るために必要なことは、
善悪の判断だけじゃない。
むしろ、善悪の基準を教え込み過ぎるのも危険だと、私は思う。
正義か?不義か?
そればかりに思考が囚われているから、
誹謗中傷が生まれる。
義務教育。
六歳から十五歳までの九年間。
心と向き合う時間はごく僅か。
私は未だに疑問だ。
道徳の授業は、
なぜこんなにも少ないのか?
九年間もの間、常に行われるのは、
他者との比較、背比べ。
一定基準を満たす事への称賛と、
達成出来なかった事への懺悔の要求。
そもそも、『一定』なんて、
統計学の平均値と、もはや感覚論でしかない。
『心と向き合い、生きる。』
という事は、
思考回路がぐるぐるに、
ぐちゃぐちゃになってしまうほどに、考える。
その混沌とした沼の中で、
足掻き、もがき、
必然的に、エネルギーを消耗し、疲れる。
心の授業だって、他の教科と同じ作用なのに・・・。
にも関わらず。
心と向き合い、悩み、苦しみ、不登校になるだけで、
普通じゃないと言われる。
精神疾患だと言われる。
発達障害だと言われる。
正直私は全てに当てはまる個性を持っていると、
自負している。
ただ私の頭の中では、
これら全てが、
『厄介で、面倒で、よろしくないこと。』
とは、イコールしない。
何故なら、その価値観が無いと、
生きていけないから。
学校だけじゃなく、
社会に出てからも、生きていけないから。
学校って何だろう?
社会って何だろう?
日本は、何故こんなにも、
自死問題が加速しているのだろう。
真面目なのに?
真面目だから?
『真面目は正義、協調性こそ美。』
このままだと、くるしくて、生きづらい。
これが、
常識とされてしまうなら、
義務教育や学校は、
一定基準クリア養成所、になってしまう。
全国の、一定基準を満たさないと、
みんなと同じように整列していないと、
見下される価値観の檻と、化してしまう。
この価値観、概念の中で生きる子供たちは、
かなりのストレスと、プレッシャーに晒され、
九年間、生きる事と、ニアイコールしてしまう。
私が苦しんできた経験を、活かしたい。
何故苦しいのか、その理由を、教えてあげたい。
学校教育に、
これからの子供たちに、
もっと・・・。
心と向き合う時間を与えたい。